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藤川真一について


初代モバツイ開発者
想創社再創業 / KMD博士課程
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January 07, 2011

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ツイッターの最大の魅力って、

「普段会えないような多くの人。(フォロー側のメリットとして、あの会社の社長や芸能人などを含む)」

が、つぶやきというスタイル…つまり、

「非ポジショントークとしての、人生の一部の切り取り」

または、

「ポジショントークとしての、RSSに変わるような有益な情報が、人の顔を通じて語られる」

ことにより、

「世の中に起きている様々な事象や感情の断片を、本人の書き込みで、一度に沢山見ることができる」メディアである。

ということかなと。

-・-

あくまで使い方の一つでしかないが、Facebookやmixiなどの閉鎖型SNSと比べた場合の魅力として、沢山の知らない人をフォローするメリットとして、

「自分の人生と全くクロスし得ない人の予期せぬ情報や感情が入ってくることで、面白さが倍増する」

というところは大きな魅力だ。


先日、山下達郎のサンデーソングブックというラジオに大滝詠一氏が出ていて、

「数千曲が入っているiPodよりも、どんな音楽が流れてくるかわからない(USの)FMラジオの方が面白い」

等と言うことを言ってたと思う。(車運転しながらなのでうろ覚えだが)

自己のコントロールできる範囲に閉じた情報の場合は、不確実性は少ないが、意外性も低い。

いくら曲が数千曲入っていても、そもそもそこに入れる選択をしたのは自分なわけで、どんなにランダムで曲が流れて来ようが、そこには、自分の価値判断の範囲を超えることはない。

mixiが得意としている「地元の高校の繋がり」みたいなものは、人間関係の確実性や信頼性は高いが、情報の意外性は高くない。それぞれ人生は送っているので、子供が生まれたり、病気になったり、新しい映画を見て感動したり、はあるが、基本的にはその人自身の生活範囲以上のことは起きにくいし、価値観の中での行動範囲と言うのがベースとなる。

ものすごいローカルな関係性であれば、日々の話題も少なくなる。故に、そこを飽きさせないためのゲームなどの投入が不可欠だ。

ツイッターの場合は、深い付き合いや、そこを限定した情報の管理と言うのは、フォローシステムかリストぐらいしかないので、思いっきりフォローの幅を狭くするか、思いっきりフォローの幅を広くするかぐらいが現状なので、クローズドアカウントにしていない人であれば、大体、幅の広い方向に行くことになるか、フォローされる形で他人の判断に巻き込まれることになる。

どれぐらいの幅で情報をコントロールするか?というのは、ある種の几帳面さに関連していて、例えばタイムラインのつぶやきを全部把握したいという人であれば、知人の範囲に近い形でフォローのコントロールをするだろうし、僕みたいに、割とどうでも良くて、せいぜい自分がアクセスした時から3分前ぐらいの範囲で、意外性の高い沢山の人のツイートが見れた方が楽しいと思ってる人は、フォローに制約を持たせることは比較的少ない。フォローをするのは、思いつきで良い、ということになる。

いずれにせよ、大滝氏が言うような、「どんな曲が流れてくるかわからない期待感」という面では、明らかにツイッターの方が面白い。

さらに、

「自分がツイッターにアクセスしたという事実でさえ一期一会を得る入力条件」

ということも含めて考えられれば、ツイッターにアクセスすること自体が価値になるし、ツイッターの未読管理をする意味もなく、ただ、今ある人々の何かが見えればOKという楽しさに変わる。

せいぜい未読管理が必要なのは、DMとmentionということになる。

-・-

昨年末の大桃美代子さんのつぶやきなどの、「何の意味もない」「誰得?」みたいな、うっかりつぶやきが書ける場所って、何事にも得難い価値だよなぁと思うわけであります。

価値ある情報、意味がある情報だけをアウトプットするようになってしまったメディアは相対的に衰退していくことになる。

それはメディアとして洗練されていくという意味と同義ですが、レンタルビデオの儲けどころが何とも本質的ではない延滞金である、というのと同じく、それに何の意味があるのかわからないようなところで評価を得て行くものを、もしもバブルと表現するのであれば、例えば、「どうでもよい書き込み」を奪われたブログについては、ある種の衰退フェーズに入っていると言っても過言ではないでしょう。

その代わり、ストックする個人メディアとしては今のところブログが一番都合が良いので(twitter + twilogやtogetterが当面の敵でしょう。)、立場が「あるべき姿に戻る」という意味では良いのですが、バブル的評価は得にくくなる、ということになると思います。

ではツイッターがバブルか?というと、メディア特性そのものがバブルのような形をしていて、そもそも何故、ツイッターが流行ったのか?といういと、「そこにつぶやきがあるからだ」という、頓知のような状態になっていることこそがツイッターの強みであり、参入障壁ということになるわけで、サービスデザインそのものが「無意味を許容するサービス」である、ということは知っておいてほしいところであります。

ツイッターのつぶやきに意味のある情報だけを求めるのは、サービス特性として合わないので、そういう人はツイッターをやらないか、そういうのが好きな人だけをフォローしてください、決して他人に強制しないでください、ということだと思います。

-・-

とはいえ、ツイッターバブルが終わる時にどうなるか、と言うのを想像すると、ブログが「価値ある情報だけがアウトプットされていく場になっていく」のに対して、ツイッターは、「識者や有名人がいなくなって、社会的に価値のないつぶやきばかりが書かれるサービス」になっていくことなのかなと思っています。

ある種のポジショントークを志向している人たちが、より効率の良いメディアに移動していくということですね。

ただ、そうなっても残り続けそうな予感があるのは、大桃さんのように「うっかり本音をつぶやいてしまう場」というのは、伝達効率などのベネフィットがあるわけではないので、簡単に移動するものではないと思います。そのつぶやきを書くことにさしたるメリットがないというのが最大のポイント。フォロワーの関係性にソーシャルグラフ要素が薄いが故の強み、とでも言いましょうか。

あるとすれば、「そんなことをネットに晒すな」という価値観だけでしょうか。ただ、そういうのがなくなっていくのがfacebookの台頭に繋がっているわけですから、今更、そうはならないでしょう。

その際にツイッターにビジネス的価値があるのか、ないのか、というと3年前にはありませんでしたが、今はあると思ってるし、むしろ早くそうなってほしいと思ってる方なのですが、そもそもここに、新聞や雑誌のようなメディア的な価値があると思ってモバツイを始めたわけじゃなくて、パーソナルな利用法と、そこにレスをしてくれる知らない人達との交流が楽しくて始めたサービスですので、そもそもメディア的な意味なんて求めてないんですね。

それよりは、いろんなところに住んでいて、それぞれの人生を送っているいろんな人の、ちょっとした感情がクロスする。そういう普段では得難い状況を垣間見れることこそが価値なので、有名人や識者がいなくなるという、新規ユーザーが増える要因が減ってしまうという悲しさを除けば、まぁどうでも良い、と言う結論になるでしょうか。

一言で言うと、

「オトナでも楽しめる24時間チャット」

参加するもしないも、レスを返すもしないも自由。○○さんが入室しました、と緊張状態で挨拶する必要ありません。つぶやきが流れるタイムラインドリブンで、乗るか乗らないかをユーザーの側で判断できて、特定の発言責任は担保されるというコミュニケーションデザインが秀逸です。

twitterを楽しむ人が、ある種の非コミュ的要素があると言われるのは、まぁ事実かもしれません。人間の時間は限られていますから、人と実際に話す方が忙しければネットに割く時間はありませんので。ただし、コミュニケーションが嫌いなわけではない、というところはポイントとしてあるでしょう。

何かに満ち足りている人は気がつかないことですが、いわゆる子供や家族、仕事、地理的要因でコミュニケーション量が不足している人へのサプリという価値もありますので、あまり非コミュ的要素をネガティブに考えることは生産的ではないと思っていますし、「いつでもどこでも」その隙間を埋められることこそがネットサービスの価値だと思いますので。

-・-

長すぎですね。すいません。あと若干凡庸な文章になってしまいましたが、最近ブログを書けなくなってるので、リハビリということでpost。


参考記事:

彼らがあのツイートに怒った本当の理由

「人々が興味があって、割と、どうでも良い、けど、そこでお金を得ている人が存在している」情報の価値、意味について考えさせられる記事。

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