■名前
ネットでは、えふしん(f-shin / fshin2000)というハンドルを使っています。

本名は、藤川真一(ふじかわ しんいち)で、「ふ」の「f」と、「しん」を組み合わせて、今日からお前は「えふしん」だ!と高校生の頃につけられた呼称を使っています。

■連絡先 / ネットアカウント
twitter : fshin2000
mail: f-shin [at] milkstand.net

■履歴
藤川真一の略歴

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以下のプロフィールは、F's Garageというブログのダイジェスト版になっています。

【2000年10月まで】
工学部を卒業した後、さる半導体関連の製造装置を作ってるメーカーで、電気制御設計の新規開発などをやっていました。

新製品開発の中でWebサーバーを知り、勉強してみるとHTMLが全然わからないことに気が付き、当時渋谷のハチ公前にできたばかりのQFrontに入っていたデジハリ渋谷校に通い始めました。

夫婦あわせてカローラ一台分の金額を自己投資に回したのが、この世界に入るきっかけだったと言えます。

またネットバブル時代だったこともあり、当時放映された「アド街っく天国」の渋谷の1位がQFrontが特集され、その流れで学生としてテレビに出たこともあります。

デジハリの特別授業で、当時受託をメインに行なっていた前職の社長に誘っていただき、めでたくWeb業界に転職することになりました。


【2000年10月〜】
Web制作のベンチャーで受託開発やプロダクト開発を行なっていました。

2000年の段階からFlashとwebサーバの動的連携などを行なっていました。当時、Macromedia GeneratorというFlashコンテンツを動的生成するサーバーを使った案件や、RealPlayerやWindows Media Playerと連携する動画配信のCMSの開発責任者などを行なっていました。

当時、まだIAという言葉が一部の意識の高い人達でしか流行ってなかった頃に、Web制作のプロセスについて疑問を持ち、このブログで記事を書いたことがきっかけで、沢山のIA専門家の人たちと出会うことができました。

F's Garage @fshin2000 :情報デザインエントリ一覧 http://www.milkstand.net/fsgarage/archives/000524.html

その経験を元に、社内でも情報設計グループを作って、営業ーデザイン、制作ー開発の間で起こる齟齬を解決しようとしていました。

【2006年〜】
当時出てきたWeb2.0の波や、それに伴うAjaxという技術革新を見ていて、今後のテクノロジへの適応を目指すためにも、Webサービスに関わりたいと思いまして、paperboy&co.という会社に転職しました。

ペパボは、レンタルサーバーのロリポップや、ECショッピングカートのColor Me Shop!、ブログサービスのJUGEMなどという個人をエンハンスドするサービスを提供している会社で、そこで、カラメルというショッピングモールの立ち上げに関わり、途中からプロデューサー職という予算の策定を行う責任者の立場に変わりました。

ペパボは2008年末に上場することとなり、上場審査プロセスにも一部関わったり、その後の変遷を見るなど非常に興味深いシーンを体験できました。

【2007年〜】
この年に10年に一度の出会いをすることとなります。Twitterが日本のアーリーアダプター層で流行りました。ここでモバツイを作り、その後、起業するまでに至ります。

Twitterは、新しくもあり古くもあり、インターネットWebでは実現できていなかったパソコン通信時代のコミュニケーションが返ってきた感じがありまして、のめり込んでいきました。今でもTwitterは好きなサービスです。

モバツイでの経験、そこから得た知見については、

を是非、ご参考ください。自分ではネットサービス構築にあたっての基礎体力の部分を書いていると思っています。

【2010年〜】
ペパボの2008年末の予算合宿の時に、1年後に上司に会社をやめることを伝えます。今後のネット変遷の中で、自分の立ち位置を強化したかったから、というのを思っていました。モバツイはまだビジネスとして成立するイメージが全くなかった頃なので、モバツイで起業する気はありませんでした。

ただ、こうなるといいなぁというビジョンはあったので、実現できるように進めて行ったら、いろいろ幸運がありましてうまくいきました。

ということでモバツイはTwitterブームの波に乗り、起業してからもモバツイの運営にコミットしていくことになりました。

最初は、想創社(そうそうしゃ)を設立しました。数ヶ月後に、ゲームクリエイターの斉藤由多加氏と出会い、経営者でありクリエイターとしての生き方を相談していく流れで、一緒に仕事をしてみようと、彼の会社と合併することとなり、マインドスコープを設立しました。

【2012年〜】
その後、震災等やガラケーからスマホへの急激なシフトの波で、ビジネスモデルの根幹の部分の変化、Twitterの変化などもあり、今後のビジネス運営をすすめる中で、一旦マインドスコープはリセットする形になり、会社を株式会社jig.jpさんに売却することになり、現在は、次の活動の準備中です。

==ネットでの活動==
【2003年】
本ブログ、F's Garageをはじめる。

【2005年】
ビデオ対応iPodが発売された直後に、TV録画をiPod向け動画に変換する「動画変換スクリプト」をリリース。

【2006年】
WebSig24/7というWeb業界の健全な発展を目的としたコミュニティにモデレータとして参加 ( http://websig247.jp )。

CNET Japanの読者ブログに企画開始時から参加
blog名は、F's Garage typeC ( http://rblog-media.japan.cnet.com/0032/ )。

【2007年】
モバツイッターリリース ( http://movatwitter.jp/)
モバツイッターとは?

MXTV BlogTV企画の「Twitter Night」にスピーカーとして出演

2007/07 「Web標準の日々」にて、JavaScriptに関する講演
2007/07 書籍:「変革期のウェブ」に掲載

変革期のウェブ ~5つのキーワードから読み解くウェブとビジネスのこれから~ (マイコミ新書)
CSS Nite 鷹野 雅弘 益子 貴寛 長谷川 恭久 安藤 直紀 原 一浩 名村 晋治
毎日コミュニケーションズ (2007/07/21)
売り上げランキング: 86971

2007/10
MDN社のWeb Creatersに、Adobe Spry Widgetに関する記事を共著で執筆

Web creators (ウェブクリエイターズ) 2007年 12月号 [雑誌]

インプレスコミュニケーションズ (2007/10/29)



■古いプロフィール(2007/01記述)
・大学で電気工学を学んでいました。電気工学と行っても強電はあまり得意ではなく、研究室はロボット制御研究室と言うところで、C言語を使い、センサーの入力を見て、ステッピングモーターを回すことでロボットを作っていました。

・新卒で入社した会社は、Factory Automationという業界の電子機器の製造装置を作る会社でした。ここでは電気制御設計を行っていました。

・今の装置では当たり前かもしれませんが、コントローラーであるパソコンをLANにつないでWebサーバで、装置の動作状態を情報発信できたら、生産管理にウケるんじゃないか?と思っていたら、HTMLの知識が全然なくて、こりゃマズイと思ったのがきっかけで、デジハリに通ってみたら、デジハリの特別授業で前の会社の社長と出会って、そのまま転職先決定。結局、新卒での会社は4年間お世話になりました。

・転職先は、Webの受託制作を主に行う会社。動画CMSのプロダクト開発もやらせてもらいました。

・2000年~2001年頃のXMLブームが盛り上がったときが楽しかったです。Streming Media Westというアメリカのイベントにも出張に行かせてもらいましたし。またFlashにフォーカスしていたのもあり、GeneratorやFlashのActionScriptの開発、FCS、Flash Remoting等々旧Macromediaプロダクトには非常にお世話になっています。

こちらでは5年間お世話になりました。新卒より長い期間お世話になったのがとても印象的ですし、本当に勉強になりました。またうまく方向性がマッチするなら一緒に働きたいです。

・受託というお客様のニーズを実現する仕事の中でのエンジニア=「技術を売る仕事」という限られた職務領域から、一歩、見聞が広げたいと思ったため、2006年からpaperboy&co.というWebのサービスを運営する会社に転職しました。

多分、僕の人生は、賢いインターネット業界の方々と比べてスロースターターなので、頭の良い人と比べて、数年後経ってからいろんなことに気がつくことが多く、その過程でいろんな人にお世話になっています。(ご迷惑を沢山おかけしています)。特に転職においては、必ずご迷惑をおかけすることになってしまい、本当に恐縮するばかりです。


■将来の目標:
インターネットと日常の生活が融合された「何か楽しいもの」/「便利なもの」を作ること。


■偉大だと思うもの:
HTML、バーモントカレー、カップヌードル、カローラ
それを取り扱う人間が、低い価値として見られてしまうほど「当たり前のもの」こそ偉大で、その価値に気がつかない人は勿体ないと思う。

如何に画家のように紙と鉛筆だけで人を感動させられるのか?ということを考えるようになりました。

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2008.06.30 update
2012.08.19 update