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藤川真一について


初代モバツイ開発者
想創社再創業 / KMD博士課程
著書〜100万人から教わったウェブサービスの極意―「モバツイ」開発1268日の知恵と視点 [Kindle版]
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March 07, 2004

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ネットで知り合った友人がネットで知り合ったパートナーとの結婚式に招待されて行ってきた。

僕自身、よく考えると本名もまともに認識していない関係だったりしたわけだが、別に仕事が同じでも故郷が近いわけでもなく、リアルワールドの共有はほとんどなく、稀に会ったことがあるという関係の中で、結婚式という人生の大きなイベントに呼んでいただけるというのは非常に面白い。

ネットという論理的なデータのやりとりが、大きな人の縁になるという意味で、ネットもまた現実であったと痛感させられるイベントであった。7年前に自分も全く同じ事をやった経験者とは言え、こういう関係はどこまでが現実のものであり、どこまでがバーチャルなものと認識するべきなのか未だに戸惑うことはある。ただ披露宴に参加して結果的に思ったことは、そこでの人の縁もまた自分の精神的な財産だったということであろう。それはリアルワールドでこそ実感するものである。

しかし、ネット経由の結婚というのはご親族の方も「理解できないもの」として、さぞかし戸惑われたものであろう。人間は、「理解できないもの」には「恐怖」を抱き排除したくなる。これは人間として当たり前のことであり、あらゆるデザインの基本となる概念だが、とりあえず、もし僕が結婚式でスピーチをしたならば自分自身を例に出し、7年間は持ってるから若造として7年間分の品質保証は不可能ではないですよということだけは自信を持ってオススメできると、神父のスピーチよりも感動的なスピーチを披露した友人の、スピーチ待ちのプレッシャーに苦悩する姿を見つつ都合よく妄想してみた。

さて披露宴の後、イノセンスを見に六本木ヒルズへと移動した。

こちらは何が現実で何がバーチャルなのか?という定義をひたすら考え続けるストーリーである。リアルワールドの定義、人間の定義、ロボットの定義というものをひたすら弄ぶストーリーと言ったところか。

また、どこにも黒幕の実体が出てこないような抽象概念的なところで話を進めるのはさすがである。しかし聞くとこの映画、日本テレビが手出しして特番やったりしてるようで、プロモーションも頑張っているようだが、この映画がメジャー作品として売れるというのはいささか疑問である。

作品としては映像、音楽、ストーリーすべてが美術品としてのクオリティがあるのではないだろうか。(まぁ個人的にはCGが主体の映像はもはやアニメではなく、FFのようなゲームを見ている感覚なのだが。)しかし、ストーリーまでも美術品、悪く言えばオタク的というのはいささか現代のメジャーなプロダクトとしてはわかりにくすぎるのではないだろうか。

結局のところ押井作品は、それこそが魅力なのだろうから文句を言うつもりはないのだが、これが一般的に売れたとしたら、いろんな意味でのモノ作りの概念は、あらためて迷宮に入りかねない。その昔、宮崎勉が事件を起こした頃、彼の行動の中にあったと思われ、マスメディアによって変人扱いされたパソコン通信というシリアライズされたテキスト情報のやりとりに一喜一憂していた「マニアックな行動」が、今や「ほおむぺえじ」、「出会い系」、そして電子メールという名前で、多くの若者の行動パターンにまで影響を与えるようになったことに、なんだ誰もが同じことやるんじゃんと思うこととは訳が違う。こちらもまた「よくわからないもの」を原因とする偏見であったが、それ自体は、明確な利便性とわかりやすさを備えていたからだ。プレーヤーが「キモイ奴ら」だったことを除いては。

実際、六本木ヒルズでの深夜上映は、英語字幕付きなのだが、別に英語が話せなくとも英語の字幕を見ながら見るのが実はわかりやすいという話の複雑さは、言葉遊びの世界であり、どちらかというと作り手の職人的なアートの世界である。そこにはユーザビリティであるとか、単純なメッセージに落とし込むという現在の情報デザインの考え方はみじんもない。ただ一点だけ、アニメーションという世界中の人が認知しはじめた新しい情報産業のフレームワークの形をして、象徴的な絵が、わかりやすい音声と共に動くことのみが、多くの人が足を運んで見るインターフェースになっているような気がしてならない。

何故、この現象が起きたのだと考えるならば、ジブリがアカデミー賞によって得たという逆輸入された権威と、マトリックスや踊る大捜査線と言ったメジャーな作品のルーツに押井守の作品がいたという、これまた輸入された権威こそが、この映画がメジャー的な扱いを受ける源泉になっているのだろう。

実際、陸の孤島、六本木ヒルズの夜11時半上映という電車では帰りにくい時間にも関わらず、ほぼ満員の人の入りだったわけだが、彼らのどれだけの数の人が満足できたのだろうか?

やはり人はレインボーブリッジを閉鎖するのが好きだったり、大事な人が病気で死んで悲しいのは当たり前だろという、わかりやすいストーリーにこそメッセージを感じ感情移入するものだと思っているからだ。そしてオムニ社の社長や、マッドサイエンティストが黒幕として存在するパターンが必要で、現象を受け止めてくれる悪役の顔こそがわかりやすさの象徴というものであろう。目下の犯人がスケープゴートで、結局、誰が犯人なのか、具体的な「人の顔」がわからなくて許されるのは、ハリウッドではJFKぐらいなものではないのだろうか。

別に感傷的に押井作品をオタクの既得権だと主張することがこのエントリの目的でない。単純に、「理解されるのか?こういうのは?」というのが最大の関心事であるからだ。多分、引退撤回後の宮崎駿の作品にしろ押井守の作品にしろ、そしてこれから公開される魅力的なブランドを確立しているクリエイターの作品にしろ、基本的には視聴者の理解レベルとは大きな隔たりがあるなかで、「理解できるところだけが都合よく理解され、それがアニメーションというジャンルでブランド化されている」という、あまりにもよくわからない現象が起きるとするならば、それはまさに「バブル」と呼ぶに値する一年になるのかもしれない。

もちろん作ってる本人達は、そんなことは知っていて、イノセンスのサイトにある押井守のインタビューを見ていると、こういう現象を素直に受け入れながら、ラッキーと思って自分の作りたいものを作ってるような気がしてならなく、大人ねと感じられるところは、一流のクリエイター全員が乗り越えた壁なのだろうか。もしくは僕の勝手な妄想か。でも、多分、沢山傷ついたんだろうな。それもまたイノセンスという意味だったりして。

また、もう一つ妄想させてもらえるなら、彼らでさえ、実際には理解しやすいものに落とし込もうとする外乱をなんとか跳ね除けて、モノを作っていたりするのかもしれないな。あれだけスポンサーがいるとなると、完全な美術展で許されるのかは疑問である。ましてジブリ作品のように子供も巻き込めるプロダクトに対するビジネスサイドの要望は並大抵のものではないだろう。この作品のロールに、日本テレビ、徳間書店、ジブリが出てくること自体が、ことの難しさを感じるのは気のせいだろうか。

しかし、彼らクリエイターのようなアートは決して作れない、僕のようなモノの作り手の端くれでさえも、自分達が作りたいスペックと、現実的にユーザが受け入れられる限界とのギャップはとても大きいものを感じるわけで、それが情報デザイン、ユーザビリティという情報エンジニアリングで努力して整理したとしても、多分、全部を提供するわけにはいかないだろうなぁというのは、クリエイター、エンジニアという属性を「モノの作り手」とグループ化したとして、多くの作り手が思う葛藤ではないだろうか。もちろん、それが慢心やコダワリ、ワガママ、能力不足を含めたとしても・・・だ。インターフェースを作り出せない人間は、インターフェースの限界に従うしかない。

アップルやWindowsのGUIは偉大だと思うが、UnixのCUIもまた偉大だと思う。しかし、偉大なCUIを引きずった今のLinuxのGUIはいくらOpenOfficeが無料でもデスクトップとして売れはしないだろう。それがコンピュータープロダクトの現実だと思うが、押井作品も本来はLinux的な世界だと思うのだが、いかがだろうか?そこにLindowsであるとか、MSオフィスに対するコストダウンの切り札でメジャー化するというのは、今のところ僕には理解しえない世界である。

とりあえず別に何を求めるわけでもない、ただ単純に事の推移を見てみたいという興味に尽きる。もしそうなったら、そうなったで面白いと思っている。そして自分が思ったままで落ち着いてしまったら、結局、残念だと思うのは自分である。やはりニーズの変化にこそ生きる魅力があり、作り手としての活力になるので、この映画が世間に受け入れられたら純粋に感動するだろう。とりあえず僕はこの作品は面白かった。こんなエントリを書くぐらいにね。

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