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藤川真一について


初代モバツイ開発者
想創社再創業 / KMD博士課程
著書〜100万人から教わったウェブサービスの極意―「モバツイ」開発1268日の知恵と視点 [Kindle版]
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March 11, 2007

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パソコン、通信歴編
■小学校5年生 任天堂 ファミリーベーシック
コントローラでマリオを動かしてみたり。プログラミングはよくわからんかった。

■小学校6年生 NEC PC6001mk2SR
母親の勤め先の社員販売みたいなので、ちらしが舞い込んできて買いました。今考えると、そんなに安くないですね。

デジタルディスプレイってのがあって8色しか表示されなかったのですが、結局、以降の数々のマシンでこのモニタは使い続けられることに。
記憶媒体はもちろんカセットテープ。データレコーダを持ってなかったのでラジカセで録音していました。

何せファミコン全盛期ですからロクに使っていませんでした。タイニーゼビウスぐらいやっておきたかったです。

■中学校1年 SHARP X1F model 10
なんと!プログラムでランダムアクセス制御ができる自動頭出し機能付きカセットテープのデータレコーダ内蔵。今、自分がどこを読んでいるか?というのを管理しておけば、読み込むべきプログラムを頭出しによって認識できるという素敵な機械でした。

テープなのにXanaduができるのはX1だけ。ボスキャラのために20分データを読み込んで、一撃で死んだときにはかなりサミシス。

シャープはこの頃から目の付けどころがシャープでした。
PC-6001はこれ買うときに売りました。

■中学校1年 SHARP X1turbo model 20
ベーマガ(雑誌)に載ってた九十九電機の広告で59800円で型落ちが売っていたのを買ってもらっちゃいました。ディスクドライブは2Dで、憧れのフロッピーディスクデビュー。サイズは5インチ。

当時はX1 turbo2が178000円だったので、かなりお買い得でした。
後に、友人からもらって中古のディスクドライブをくっつけてmodel30相当になりました。

X1Fはこれ買った頃に中古屋さんに売りました。

■中学校2年? NEC PC-8801FH
当時のパソコンは88が天下で、お父さんが仕事でパソコンを使う家では98VMとかVXを使っていた時代です。
400ラインと呼ばれる480 * 400ドットの高解像度は僕の持っているモニタでは表示できませんでした。だから、「カサブランカに愛を」や「道化師殺人事件」などのアドベンチャーゲームはX68を買うまでおあずけでした。

この頃の88のキーボードがカチャカチャ言うキーボードで良かったですね。
これ買った後にX1 turboは知人の大人の人に売りました。せっかく買ってもらったのにヒドイですね。

■中学校2年 NEC PC-8801MA
友達とFH + ツインファミコンのセットでMAに交換してもらえました。

MAにはサウンドボード2という音楽性能が高い仕組みがついていて、棚ぼた的に手に入れらてうれしかったものです。

ここでフロッピーディスクは2HDデビューとなりました。今のフロッピーディスクと同じ容量です。


〜ここまでのまとめ〜
パソコンの買い換えサイクルを見ると、僕は一体何をやっていたんだろうと思うぐらいヒドイですね。


■高校1年 SHARP X68000ACE
あこがれのX68000を手に入れたのが高校一年です。公立高校に入ってもらえた10万円と、88MAを売って得た9万円と、あとはなんか援助してもらって30万円で買いました。

30万円って高いですよね。つくづく。

源平討魔伝、サラマンダー、グラディウスが自宅で遊べる、素敵でしたね。
X68は、大学卒業までの7年間、メインマシンとして使っていました。

大学の頃は、このマシンで動くLaTeX + μEmacsでレポート書いてました。情報系学科にいかなかったため、知識がこの世界で閉じていたのでUnix文化にデビューできなかったという、今となっては痛い思い出でもあります。正直、人生出遅れました。それだけ使っていて楽しい世界でした。

LaTeXのインストール時には、印刷用のtrue typeフォントというのを作成するために二日間ぐらいフォント生成処理をし続けていたことが思い出されます。

オトナの階段でした。


■高校1年 パソコン通信を始めるも2ヶ月で辞めることに。
今で言うパケ死少年でした。夏休みにデビューした厨房とはまさにこのこと。

1ヶ月で10万円もの電話代を使って親に味噌汁かけられました。このときの電話代は電気屋でアルバイトして返しました。

初めてのパソコン通信で、朝4時にチャットした時の感動は今でも忘れていません。朝やっていたバイトをすっぽかしてチャットをやっていました。こんな小さな鉄の箱から、世代の違う人と話ができるなんて!と、オトナの世界に少し足を踏み入れられたことが楽しかったです。

最初に買ったモデムは、秋葉で売ってたノーブランドモデムでした。スピードは300bpsでした。これがまたなかなか繋がらない。真夜中にホストにさんざんリダイアルして繋がらないってのは悲しいです。安物買いはよくないです。

■高校2年 X68000のクロックアップ
なんとなく物理部というオタ部に出入りしていて、文化祭の前の日とかにパソコンを持って行って、学校でクロックアップにチャレンジした記憶があります。最初動かなくて顔が青くなってました。

X68ACEのクロックアップは安定性的にちょっと難しいんですよね。でも、なんとか頑張って10MHzから17MHzに。今のPCは2GHzだの3GHzだのと言ってるので文字通り桁違いの世界です。

当時、九十九電機の荒井さんって人に、ソフトをコピーさせてくださいって言って店頭のマシンを使って、フリーソフトの詰まったフロッピーをコピーさせてもらって、そこを通じてオンラインの匂いを感じていました。lzhという圧縮フォーマットは当時から現役です。また友達づたいで、MDXと呼ばれる音楽データや、PICと呼ばれるフォーマットで作られた画像データを入手したりしてました。

個人が作ったPCM8と呼ばれるドライバソフトウエアで、音楽再生機能がソフトウエア的に拡張されたり、X68000は個人の才能が支えるスゴイ世界でした。ルパン三世のサンバデスペラードのMDX + PCM8の音楽データの完成度は今でも気になります。

ファイラーはmint、通信ソフトはmuterm、エディタはμEmacsという三種の神器でした。

■大学入学〜。
大学入ってから車買ったり、アルバイトにハマったり、彼女を作ってみたり、人並みの大学生活を送っていたような気がするので、この頃はパソコンの進化はあまりなし。

パソコン通信は大学に入って復活し、アルバイトで電話代を払っていました。

先輩には、いろいろシンジケートがあるみたいで、面白いマシンを買わないかといろいろ回ってきたので、バイト代でちょこちょこ手を出していたのが以下

・NEC PC88VA
ご存じの方はご存じの通り、X68000のライバル。88も98も互換性も中途半端なマシンでしたな。ちょびっといじってみかっただけです。まだ実家にあるかも。

・EPSON PC286LT? (エプソンの98互換機でラップトップマシンでした。)
まともな98も良いなぁとラップトップの機種を手に入れてみました。でも、いざ手に入れてみるとパソコンなんて2台もいらねぇということに気がついて、高校の先生に売ってしまいました。卒業したとはいえ生徒が先生に物を売るってのは結構スゴイなぁと思います。

・NEC PC98NL
この頃のNECってたまにスゴイPC出すんですよ。このPC、当時なのに1.2kgという軽量マシンでした。
ハードディスクはなくて、メインのストレージはラムディスクです。つまりバッテリーがなくなるとOSから全部データが消える素敵なマシンでした。まだフラッシュメモリなどは夢のメディアでしたから。

ディスクレスのマシンを持ち運びすることに憧れましたが、そもそもバッテリーが持たないということで持ち運びする力はありませんでした。

たしか大学のノートをこれで取るような誘い文句に買った記憶がありましたが、そういうのには使いませんでした。確か、研究室で参加するロボット大会で仙台に出張したときとかにロボットにプログラムを転送するのに使ってた記憶があります。そう考えると結構役に立ちましたね。

就職してからも、しばらく会社で使ってました。多分、上司がパソコンを購入するきっかけになったマシンなので、これはそれで役に立ったと思います。

軽量ノートは、軽量であることに価値がある。やっぱり良いですね。

なお技術面で、この頃、特筆すべきこととして、当時、JPEGって画像圧縮フォーマットが出てきて、オフ会の集合写真がネットを通じて手に入れられたことに感動したものです。X68000は6万色もの色を使えるのですが、はじめてパソコンの画面上に、ゲームやCG以外のリアルな情報を表示した瞬間でした。

その代わり、一枚のJPEGを表示するのに5分はかかっていたハズ。
今は当たり前のことですが、新しい時代の到来を感じました。懐かしいです。

■社会人〜
社会人になってからはWindows時代ですから、もはや趣味としてのパソコン自体には魅力はあまりなくなってきましたが、国産ノートにはロマンがあるもので、その中で気になったもの。

・Toshiba Libretto 20
出張の帰りに、どうしても出張時に遊ぶパソコンが欲しくなって秋葉に寄って買って帰りました。
海外出張でも活躍した良いマシンでした。これを思い出すと、いろんな出張の思い出がよみがえってきます。グランドキャニオンのホテルからダイアルアップしてメール送ったり。

・Panasonic Let's Note S21
現場仕事から開発仕事になって、一日Librettoを見つづけるのもなんだということでWindows98が出た頃に買ったマシン。トラックボールを使った名機です。普通に仕事で使ってました。


とここまで書いてきて、これをアップして何の意味があるんだろうと思い始めてきましたが、せっかく書いたので保存しとく程度の意味合いでポストしときます。

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